大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(行コ)93号 判決

控訴人

中村凉三

物部長興

被控訴人

東都知事

美濃部亮吉

右指定代理人

関哲夫

外二名

主文

原判決中控訴人両名に関する部分を取消す。

被控訴人が控訴人両名の昭和四五年一二月二一日付東京都反軍平和条例制定請求代表者証明書交付申請に対し、昭和四六年一月七日付四五総総文収第四二四号をもつてなした代表者証明書交付拒否処分はこれを取消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担すとる。

事実《省略》

理由

一控訴人両名および原審相原告吉川勇一、同和田春樹、同清水和久、同石川寛(以下「本件条例制定請求代表者」という。)が昭和四五年一二月二一日、法(地方自治法)第七四条、令(同法施行令)第九一条の規定に基づき被控訴人に対し条例制定請求代表者証明書(以下「代表者証明書」という。)の交付申請をしたところ、被控訴人が昭和四六年一月七日付四五総総文収第四二四号をもつて条例制定事項に該当しないとの理由により右代表者証明書の交付を拒否したことは当事者間に争いがなく、本件条例制定請求代表者がいずれも右代表者証明書の交付申請当時、東京都において法第七四条第一項、第四項に定める選挙権を有する者であつたことは弁論の全趣旨に照らして明らかである。よつて、進んで被控訴人の右拒否処分の適否につき検討する。

(一)  令第九一条によると、住民の条例制定請求の前提手続として請求代表者は長に対し代表者証明書の交付を申請すべきものとされ、当該請求代表者が選挙人名簿に記載されていることの確認を選挙管理委員会から得たときは、長は請求代表者に対し代表者証明書を交付しなければならないものとされているが、右代表者証明書の交付申請の段階で長が当該条例案の内容を事前審査して代表者証明書の交付を拒否できることについては、わが法制上ならんの規定も存しない。

ところで令第九一条が条例制定請求の権利行使の前提手続として、まず請求代表者が長に対し代表者証明書の交付を申請すべきものとしたのは、当該地方公共団体の議会の議員および長の選挙権を有する者でなければ条例制定請求ができない(法第七四条第一項)ところから、あらかじめ請求の前提手続の段階で請求代表者の資格を公認し、同資格をめぐる後日の無用の紛争を避けるとともに爾後の手続の明確を期する趣旨に出たに他ならないのであつて、代表者証明書の交付申請の段階において長が当該条例案の内容を事前審査し、その判断により住民の条例制定請求の途を社絶するようなことは全く法の予想しないところであるといわなければならない。

もつとも、令第九一条第一項によると、代表者証明書の交付を申請するには請求の要旨その他必要その他必要事項を記載した条例制定請求書を添えるものとし、令第九八条の三に基づく施行規則第九条の別紙様式によれば、右請求書には当該請求にかかる条例案を添付すべきものとされているが、右の段階でこのような取扱いをする趣旨は、代表者証明書交付の後に開始されるべき手続事務の利便に資するためであつて、代表者証明書の交付申請の段階で長に当該条例案の内容の事前審査をなさしめる趣旨に出たものではないと解すべきである。

(二)  さらに、これを条例制定請求制度の趣旨に照らして考えてみても、以下に述べるように、長が代表者証明書の交付申請の段階において条例案の内容の事前審査をする根拠はないものといわなければならない。

すなわち、地方自治のあり方における住民自治の要請に基づき、地方住民は原則的には地方公共団体の議会の議員および長の選挙を通じて間接的に地方自治に参与するものとされているが、間接参政制度に伴う幣害を是正する手段として別に住民には条例の制定等に関し直接的にその意思を表明する権利が与えられているのである。地方公共団体の議会の議員又は長は住民の選挙により住民の意思を反映して選出されたものであるとはいえ、実際には必ずしもすべての住民の意思をそのまま地方自治に反映しつくすことはとうてい期し難いところであり、ここに議員又は長と政治的、社会的、経済的その他の点において見解を同じくしない住民による条例制定請求権行使の必要が是認されるのである。もし条例制定請求手続の前哨手続に過ぎない代表者証明書交付申請の段階において、長に条例案の内容の事前審査を許すものとすれば、長が反対見解に立つ限り、ややもすれば住民の条例制定請求の権利の行使が右の前哨段階において事前に阻害されるおそれがある。

(三)  右に対し被控訴人は、「条例案が条例に規定し得ない事項又は条例制定請求をなし得ない事項に関することが一見極めて明白で且つ条例としての同一性を失わせない範囲で修正を加える可能性がなく、条例制定請求制度を利用させるに値しないと認められる場合には、代表者証明書交付の申請を受けた長は当該申請を拒否できるものというべきところ、本件条例案は現行の法令の規定又はその趣旨に反することが一見極めて明白であるから本件拒否処分には違法のかどはない。」旨主張する。

そこで按ずるに、原則的にはさきに説示したとおりであるけれども、条例案を一見しただけで条例で規定し得ない事項又は条例制定請求をなし得ない事項に関するものであることが、何人にも論議の余地すらない程に極めて明白である場合には、爾後の法定の手続を進めることも無意義に帰することが明らかであるから、代表者証明書の交付申請の段階において、例外的に、爾後の手続の進行を阻止することも許されてよいが、「一見極めて明白」な場合とは法第七四条第一項かつこ書所掲のように法定されている場合とか、憲法改正手続を定めるものであるとか極めて局限された場合に限られ、実際にはたやすくかかる断定を下し得ないのが常である。しかるに安易に長にかかる判断を許すときは、ともすれば長の見解により代表者証明書交付申請という前哨段階において住民の条例制定請求権の行使を阻止し、条例制定請求制度を設けた趣旨を没却せしめるおそれがある。したがつて、右にあげた何人にとつても自明と見られる場合を除いては、長において「一見極めて明白」との判断を下すことも許されないのというべきである。

現行法令は、請求代表者をしてまず代表者証明書の交付申請をさせ、代表者証明書の交付を受けた請求代表者が法定数の住民の署名を得て条例制定請求をしたときは、長は条例案を議会に付議すべきものとしているのであつて、かかる条例案の審査はもつぱら議会の判断に委ねられているものと解されるところ、条例案を長が議会に付議するにあたつては長の意見を付すべきものとされている(法第七四条第三項)ほか、議会において十分な調査がつくされるよう調査権(法第一〇〇条)が与えられ、議会はその自主的判断により条例案を否決できるのは勿論、これに必要な修正を加えることもできる(法第一一五条の二)のであつて、もし長において条例の制定に関する議会の議決につき異議があるときは理由を示してこれを再議に付することもできる(法第一七六条第一項)ほか、議決がその権限を超え又は法令等に違反すると認めるときは長は理由を示して再議に付さなければならない(法第一七六条第四項)とされており、さらに再議にかかる議決がなお権限を超え又は法令等に違反すると認めるときは長は自治大臣等に対し審査の申立をして議決の取消の裁定を求めることができ(法第一七六条第五項、第六項)、右裁定に不服があるときには裁判所に出訴することもできる(法第一七六条第七項)のである。

現行法令がかように緻密な諸手続を定めている所以のものは、直接参政権として住民に与えられた条例制定請求権のようなものの取扱いはあくまでも慎重を期し、一片の形式審査に流れることのないよう意図せられたものであつて、したがつて条例制定請求の前哨手続に過ぎない代表者証明書の交付申請の段階において長に条例案の内容の事前審査を許すようなことはおよそ法の予想しないところであり、さればこそわが法制上この点に関する法令の規定はなんら存しないのである。さようなわけで、もし手続の実際面において重大な不都合をきたすことが避けられないのであれば、関係法令に所要の改正を加えて改善をはかるのが相当であつて(かつて、地方税の賦課徴収に関する住民の条例改廃の請求の実情にかんがみ、地方公共団体の財政的基礎を危うくするおそれのあることを理由として、昭和二三年法律第一七九号をもつて法第七四条第一項に「(地方税の賦課徴収並びに分担金、使用料及び手数料の徴収に関するものを除く。)」旨の制限が加えられたほか、その後においても必要に応じ関係法令の改正がなされてきたことは当裁判所に顕著なところである。)、本来、請求代表者が選挙人名簿に登録された者であるかどうかを選挙管理委員会に確認を求めてその確認があつたときは証明書を交付するといういわば単純な事務に過ぎない筈の代表者証明書の交付申請の手続段階においては、さきにも述べたように条例案を一見しただけで条例で規定し得ない事項又は条例制定請求をなし得ない事項であることが、何人にも論議の余地すらない程度に極めて明白であつて、爾後の法定の手続を進めることが全く無意義であると認められるような特別な例外的場合のほかは、たとえ長の見解によれば条例事項にあたらないと考える場合でも、その段階で代表者証明書の交付を拒絶して住民の条例制定請求の権利の行使を阻止することは現行法上許されないというべきである。

いま本件代表者証明書の交付申請書に添付された条例案(当審証人下野順一郎の証言によると、控訴人らはさきに昭和四五年一一月一〇日、同年同月一七日の二回にわたり立川市長に対し同種の条例制定請求をしたが、本件の場合においては前二回のそれと異なり、自衛隊と憲法との関係等をめぐる論争を避けて条例案から自衛隊の字句を削除したほか、必要な修正を加えて本件代表者証明書の交付申請に及んだ事情をうかがうことができる。)を見るに、右は控訴人らのいう武力集団なるものの存立ないし消滅に関する事項を直接規定しようとするものではなく、地方公共団体が所有権又は管理権を有する建造物、上下水道、道路その他公共の施設とその職員の管理、規制に関する事項の条例制定請求をしようとするにあることが認められるのであつて、一見して条例で規定し得ない事項又は条例制定請求をなし得ない事項に該当することが何人にも論議の余地のない程度に極めて明白であると断定するわけにはいかない。

(四)  してみると、長としては請求代表者から代表者証明書の交付の申請を受けたときに、令第九一条第二項の規定にしたがい直ちに選挙管理委員会に対し請求代表者が選挙人名簿に登録された者かどうかの確認を求め、その確認があつたときは代表者証明書を交付しなければならなかつたのに、被控訴人が長として本件代表者証明書の交付を拒否したことは令第九一条の規定に反する違法があるものというべきであるから、本件代表者証明書の交付拒否処分中本件控訴にかかる控訴人両名に関する部分は取消されるべきものである。

二よつて、原判決中控訴人両名の請求を棄却した部分を不当として取消したうえ、本件代表者証明書の交付拒否処分中控訴人両名に関する部分を取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(古山宏 青山達 小谷卓郎)

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